2026年7月23日 投稿:@Crash_fannet
吉田プロデューサーがクラッシュについて振り返る!CEDEC 2026 講演レポート

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2026年7月22日から24日にかけて、神奈川県 パシフィコ横浜にて、CEDEC 2026が開催されました。
このイベントは、一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が主催し、1999年から毎年開催されている国内最大級のゲーム開発者向け技術交流カンファレンスです。 ゲーム開発者のスキルアップや業界全体の技術向上を目的に運営され、各メーカーや開発者が最新技術や取り組みなどを講演という形で発表し共有しています。

今回のCEDEC 2026では、SIE ワールドワイド・スタジオ プレジデントや、インディーズ イニシアチブ代表などを歴任したことで広く知られ、現在は 昨年設立した(株)yospの代表取締役を務められている吉田修平さんによる基調講演「私が出会った素晴らしいゲーム、クリエイター、そしてその創造性について」が行なわれました。このセッションでは「私が初代プレイステーションから現在まで、そのキャリアの中で出会った(Co-Create)したクリエイターとゲームについて振り返って行きます。例えば以下のゲームについて私の関わりと、そのゲームやクリエイターのクリエイティビティについて時間の限り語ります。」とし、「サルゲッチュ」や「ラチェット&クランク」など様々なタイトルでの経験と当時の振り返りが語られました。

さて、吉田修平さんといえば初代「クラッシュ・バンディクー」を日本版プロデューサーとして手掛け、以降の作品にも「クラッシュ・バンディクーレーシング」までエグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされている日本のクラッシュファンにとってはおなじみの方です。昨年吉田さんがSIEから離れる際に開催されたイベントでも、当サイトでもお伝えしたように、当時の「クラッシュ・バンディクー」についてのエピソードを語られています。

今回の「私が出会った素晴らしいゲーム、クリエイター、そしてその創造性について」でも、もちろん「クラッシュ・バンディクー」についての振り返りがありました。 多くのタイトルを扱う講演ではありましたが、今回は長くクラッシュについての情報を集めている立場でも初めて聞く話もあったので ご紹介したいと思います。


クリエイターと、IP(知的財産権)のどっちが大事?
お話は、はじめに 吉田さん自身がゲーム業界の「究極の選択」だと感じている問いとして「Creator or IP」という投げかけからはじまりました。

これはつまり、クリエイター(ゲームを作る人)と、IP(知的財産権)のどちらが大事なのか?という問いです。
「答えはもちろん両方が大事ですが、時にはどちらかを選択するような場面も出てきます。私もキャリアの中でそうしたことがありました。これはどの考えが正しいということではなく、私はいつもクリエイターを選んでいました。」と吉田さん。その理由は、「ゲームを作ることや作っている人たちが好きだから」と話し、いまインディー系ゲームのサポートをしているという現在の立場に繋がっていると感じているそうです。

ここでスクリーンには、1996年にプレイステーションで発売された初代「クラッシュ・バンディクー」のアートが映し出され、吉田さんが最初にプロデューサーとして関わった作品として紹介されました。
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10人くらいの小さなチームからはじまった
当時の開発チームのメンバーや規模についてのお話からはじまりました。 マーク・サーニーさんがユニバーサルインタラクティブスタジオのプロデューサーとして参加し、デベロッパーはノーティードッグの創設者でもあるジェイソンさんとアンディさんが中心となった10人くらいの小さなチームで「クラッシュ・バンディクー」の開発をしていたそうです。
吉田さんはマークさんについて「知られているように、13歳でにカリフォルニア大学バークレー校に入学する天才」と紹介、アタリでは「マーブルマッドネス」を作り、セガで「ソニック・ザ・ヘッジホッグ2」の開発に携わり、その後クリスタルダイナミクスやユニバーサルインタラクティブスタジオでも作品を手掛けていました。「クラッシュ・バンディクー」では、そんなマークさんがノーティードッグを見出してユニバーサルインタラクティブスタジオのオフィスで場所を提供していたそうです。


ジェイソンさんとアンディさんについては、「クラッシュを作っているときはまだ20代だったが、じつは15歳のときに彼らは友達とJAMソフトウェアという会社を立ち上げて、ゲームを作ってフロッピーディスクで販売していた。だから20代でありながら、すでにベテランでした。」と吉田さん。
2人とも非常に戦略的な考え方を持っていて、プレイステーションの発売時には「マリオとかソニックのようなマスコットのキャラクターアクションゲームがない!それを狙おう!」ということで「クラッシュ・バンディクー」をつくり、成功に導いたとのことです。


日本版クラッシュくんのきっかけはVジャンプ初代編集長の発言
ここで、吉田さん自身が「クラッシュ・バンディクー」に関わったきっかけや、実際にそのあとに行った日本版プロデューサーとしての仕事についてのお話に移りました。


吉田さんによると、海外で作られたゲームを日本で発売するのに、当時のチームでは英語ができるプロデューサーが一人もいなかったそうです。 吉田さんは隣の別の部署にいてナムコやコナミのサポートをしていたそうですが、吉田さんは英語ができることから「吉田やってみないか?」と声をかけられ、「やりたいです!」と返事をして吉田さんが最初に日本向けのローカライズプロデューサーを担当することになったそうです。


日本版プロデューサーとして、日本で発売する際に色々な出版社巡りをしていたら、集英社を訪れた時に当時のVジャンプ初代編集長の鳥嶋和彦さんに「もうこのキャラクターは絶対に日本では売れない!断言する!」と言われたそうですが、それに対して「それはもう本当にありがたい話」だと吉田さんは話します。
「オリジナルの海外版は目が緑で、毛がボウボウで、非常にバタ臭い感じでした。そこを指摘いただいて『じゃあ日本での露出に使うものは全部日本で作り直そう』と、マーク、ジェイソン、アンディも理解してくれました。彼らも『日本でクラッシュを売りたい!日本で絵やキャラクターを少し変える必要があるなら、どうぞやってくれ』と言ってくれました」「さらにゲームバランスが非常に難しいゲームだったので、日本向けに時間をかけてゲームバランスを調整しました。日本でプレイヤーテストをやって、その結果を見ながらマークと一緒に『ここにチェックポイントを増やそう』とか、『ライフを増やそう』とか、『このボス戦をもう少し簡単にしよう』と作り直し、やさしいゲームにしました。」と当時を振り返ります。

続けて、マーケティングを担当したことで知られる細谷さんについてのお話もありました。
吉田さんによると、細谷さんから「クラッシュはいいけど、バンディクーって誰もわからないよね」「覚えてもらうために歌をつくろう!」と提案があり、「クラッシュ・バンディクー♪」とおなじみのCMソングを作って、「歌があるならダンスもやろう」とダンスを作り、そのおかげもあり 人気者になることができたということです。「クラッシュ・バンディクー3 は日本だけで100万枚売ることができて、海外のゲームでありながら日本でヒットした非常に珍しい作品になりました。」と吉田さんは話します。

このあとは次の作品の振り返りになりました。ちなみにここで、吉田さんが「グランツーリスモ」のプロデューサーになった経緯についても言及がありましたが、当時「クラッシュ・バンディクー」のプロデューサーは、ローカライズプロデューサーという仕事で、それだけでは時間がすべて埋まらないので、「なにやりたい?」と聞かれて、ソニー内製の作品に携わりたい思いから担当することになったのが「グランツーリスモ」だったそうです。このタイミングではまだソニー内製でゲームを作っているのは「グランツーリスモ」のポリフォニーデジタルのみだったそうです。
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究極の選択では、常にクリエイターを選んできた
今回の講演では「クラッシュ・バンディクー」について、「ラチェット&クランク」のスライドでも言及がありました。 具体的な話ではありませんが、「クラッシュ・バンディクーカーニバル」を最後に クラッシュはSIEから離れていった経緯が想像できます。
お話によると、当時「スパイロ」シリーズを手掛けていたインソムニアックゲームズと「クラッシュ・バンディクー」のノーティードッグとは、ユニバーサルインタラクティブスタジオを経由してSCEと仕事をしていたそうです。ですが、PS1からPS2に移るときに、「ソニーと直接仕事をやりたい」という声があがったと言います。吉田さんによると「そうすると、クラッシュはもう続けられないよね」となったそうですが、「もういいよ。」「移ろう。やめよう。クラッシュやめよう!」という判断をして、マークさんとノーティードッグとプレイステーションで新たなIPを作ることにしたそうです。 そうして、のちに世界で高く評価される「ジャック×ダクスター」そして、「アンチャーテッド」へと繋がっていきます。


30年愛され続けるクラッシュ
今回の講演では、他にも多くの作品についての裏話なども聞くことができます。CEDECのセッションは基本的に有料ですが、今回の吉田さんによる「私が出会った素晴らしいゲーム、クリエイター、そしてその創造性について」は、YouTubeの公式チャンネルにて誰でも視聴できる形で公開されています。今回の「クラッシュ・バンディクー」についてのお話も、ぜひ直接確認してみてください。

この基調講演の最初に投げかけられた「Creator or IP」で「常にクリエイターを選んできた」というお話は、まさにクラッシュを続けられなくなりながらも、ノーティードッグと次の作品を作ることを決めたというお話にも繋がっていると感じます。
以前、吉田さんは「クラッシュ・バンディクー ブッとび3段もり!」の発売前に実施されたインタビューで、「もともと『クラッシュ・バンディクー』は初代PlayStationに最適化したゲームデザインだったので、PlayStation2向けに新しいアクションゲームを作ろうと思っていたんですよね。そこで、『クラッシュ・バンディクー』をすっぱり諦める選択をしました。」「IP(知的財産)も大事ですが、クリエイターもとても大事ですからね。その後、ノーティードッグは『ジャック×ダクスター』シリーズ、『アンチャ―テッド』シリーズ、『The Last of Us』などのヒット作を次々に制作しました。現在ではWWSの一員として良い関係が続いています。」と話されています。このときの「IP(知的財産)も大事ですが、クリエイターもとても大事ですからね」という発言の真意は完璧にはわかりませんが、今回の講演ではより踏み込んだお話を聞くことができたと思います。

「クラッシュ・バンディクー」は多くの人から愛され続けて今年で30周年をむかえます。クラッシュにはじめて出会ったころ、クラッシュは日本で作られたキャラクターだと思っていました。学校の休み時間には夢中になってダンスを踊って、自由帳にはクラッシュのオリジナルステージの絵を描いていました。こうした子供が気づいたら大好きになっているクラッシュくんは、今回の講演でも話されていたような吉田さんや細谷さんの想いがあってこそ誕生したものであると、改めて強く思います。

現在、吉田さんは先にお伝えしたようにインディーゲームのサポートを中心に取り組まれています。 吉田さんの活動や関わられている作品については、ぜひXアカウントにてご確認ください。
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